by マウリス・マラネス / 中村みどり / ジョン・タクロイ
コーヒーは現地の人々にとって生活の一部と考えられていた。また、換金作物として価値のあるコーヒーは、子供ではなく、主に年配の人々に飲まれていた。子どもたちは大人からコーヒーを飲むと脳の働きが悪くなると言われていた。しかし、地域の人々は子供時代の経験を思い起こし、コーヒーが高価なものであるためにこのような迷信が伝えられたと考えている。人々は普段コーヒーに砂糖を入れて飲んでいたが、ミルクは当時とても高価なものであったためコーヒーに使われることはなかった。
コミュニティ内では、近所の人が家の近くを通るときはいつでも”Men kape tako”と声を掛ける。”Men kape tako”とは「コーヒーを飲みながら話そう!」という意味だ。彼らの文化的な習慣では来客にはコーヒーを出し、田んぼ仕事に出かけるときにもコーヒーを瓶に入れて持っていき、休憩時間にほかの人々と飲んでいた。
また、コーヒーは儀礼的な贈り物でもあった。いくつかの地域では葬式は祈りと共に夜通し何日もかけて行われるが、その間、人々はコーヒーを味わった。
特にボントクの年配の人々は、毎朝同じ場所に集い、コーヒーを飲みながらコミュニティの出来事について意見交換し話あう時間をとても大切にしていた。これは、コミュニティで男性たちが社会、宗教、政治の話をする場である“ダップアイdap-ay” の一部であった。結果、コーヒーはサガダの人々にとって必要不可欠な大変重要な文化・伝統となった。
同様にコーヒーを飲むことはイバロイ族の重要な儀礼的習慣のひとつである。熱い一杯のコーヒーを一緒に飲むことで、もてなしを示し友好関係を築いた。特にベンゲット州のカバヤン、ボコッドでは、コーヒー飲みながら会話をするために客を呼ぶ習慣を“agsij-up”と呼んでいる。人々は深い焙煎のコーヒーが健康に良いことも証明した。
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