山本博文の北ルソン・コーヒー探訪記⑭

ーサヤンー剪定はもったいない!?

 気晴らしに、昔のコーヒーの本を読んでみました。面白いですね。ボク自身、小難しい言葉を使った本が好きなので、たまにこういったのを読むととってもいい気晴らしになります。そんななかで、いくつか紹介したいと思います。本のタイトルは「珈琲哲学序説」。

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宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にして洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない。 

 

芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上におかれたいっぱいのコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であるといっても良いかもしれない。これによって、自分の本年の仕事がいくぶんでも能率を上げる事が出来れば、少なくとも自身にとっては下手な芸術や半熟の哲学や生ぬるい宗教よりもプラグマティックなものである。ただあまりに安価で外聞の悪い意地のきたない原動力ではないかと言われればそのとおりである。しかしこういうものもあってもいいかもしれないというまでなのである。 

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 なんかこういった表現いいですよね。ぼくには一生書けそうにありませんが。

 

 さて、コーヒー栽培において、大切なのは施肥と剪定とシェードツリー管理といわれています。取りあえずこれらが適切に行われていると良いコーヒーが生産できます。今回は剪定について、少し紹介します。

 

 剪定。フィリピンでは、プルーニングとかリジュビネーション(若返り)と呼ばれています。コーヒーが苗木から成長し、結実し収穫される。こういったサイクルを繰り返すと、コーヒーの木が弱ってきます。そこで、行われるのがこの剪定の作業です。

 

  大きく分けると剪定は2つに別れます。常時おこなわれるメンテナンスのための剪定と、何年かに一回おこなわれる剪定です。後者は、根元から大胆にコーヒーの木を切ってしまいます。そうすると約1ヶ月後、若芽がその幹からたくさん生えてきます。それを選択的に残していき、最終的には2−3本にして結実まで育てていきます。この作業は大体7−10年に1回おこなわれます。その作業の仕方にもいろいろあります。農園をいくつかの区画に分けて、1年ごとに決めた区画を剪定します。そうすると、生産量を落とすことなく、コーヒーを剪定できます。また、列ごとにおこなうこともあります。フクナガ法とよばれる剪定方法で、ハワイや中米でよくおこなわれています。日系のフクナガさんが考えた方法です。

 

 

 フィリピンでもそうですが、この剪定に関して、農家さんは消極的です。なぜなら「もったいないから」。フィリピンでは「サヤン」(Sayang)といいます。だいたいの農家さんが言います。「サヤン、サヤン」と。やはり、栽培のアドバイスは、科学的にではなく文化的に行う事が大切だと思っていますので、そういった方々に無理矢理やりなさいというのは気が引けます。そういった場合は、「ベンディング」と呼ばれる方法をお勧めしています。これは、この木を切るのではなく、コーヒーの幹をググッと曲げて地上と水平にします。そうすると、その幹から若芽が生えてきます。面白いですよねー。

 

 

 常時おこなう剪定は、下方の枝を切り落としたり、換気を良くするためにいくつかの枝を切り落としたりします。バリでは、換気を良くするだけでなく、太陽の光をコーヒーの木の内部まで届かせるために、木の一部に剪定による穴を作ります。写真のような形になります。

  また、補足的な剪定方法としては、病気になった木の枝をすべて落としてしまう方法などもあります。

 

ハロット式
ハロット式